柚子湯

猫をこよなく愛する共働き夫婦の日常

低血糖との戦い

毎日の通院で体調がよくなってきたにゃにお。
とはいえまだケトンが高いので、とにかく下げて食欲を出させるために、短時間作用のインスリンを夜中に家でも打つことになりました。
 
その夜、久しぶりに布団で寄り添って寝ていると、猫の様子が少し違っていました。
ぼーっと、フラフラと天井を見て、吸い込まれるように眠ってしまいました。
すでに病院の電話は繋がらない時間で、計算上短時間インスリンの作用は切れている時間でした。
ケトンを下げないとまたケトアシドーシスを繰り返してしまいます。
高カロリージェルをできるだけなめさせ、インスリンの注射をし、抱きかかえて眠りにつきました。
 
明け方、ただならぬ気配を感じて飛び起きると、にゃにおは布団の上に倒れて手足をビクビク震えさせていました。
毛は尻尾の先まで逆立ち、目は黒々と瞳孔が開き、時々うなり、失禁もしています。
低血糖の発作だ!
高カロリーのジェルを口に入れましたが、舐めるどころではないようです。
オットを起こし、飛び起きたオットはただならぬ様子を見て、ガムシロップを口に流し込みました。
口に激甘ガムシロップが流れ込んで、猫はぎゃ!となり、いよいよ口呼吸で痙攣をはじめました。
私が猫をさすり、抱きかかえ、呼びかけ、オットは夜間救急の動物病院を探して電話をして状況を伝えました。
 
症状は低血糖でした。
電話をしているうちに、糖が効いてきたのか、少しづつおさまりました。
一度おさまれば、翌朝の通院時にかかりつけの病院で伝えれば良いということで、電話を終えました。
普段お世話になっていない遠方の病院だったのですが、夜中に具合の悪くなった動物のために開けておられるそうです。
夜中に電話に付き合ってもらって、料金を払うこともできず、申し訳ないやら。
この病院と先生には感謝しかありません。
 
発作時にシロップを口に流し込んではいけないようです。
ほおや歯ぐきに塗る程度が正解でした。
完全に動転していました。
 
発作時当初の様子(閲覧ご注意ください)
翌日病院で見せようと撮影していましたが、だんだんそれどころではなくなり、途中まで。
 
発作から1時間半、低血糖発作から復活したものの、ジェルを塗られてベタベタになり、超不機嫌なにゃにお。

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ジェルが大嫌いになり、見るだけで鼻にシワを寄せるようになってしまいました。
 
翌朝起きると、昨日の騒ぎが嘘のように、気分がよくなったようで、顔についたジェルもきれいに舐めとったにゃにおの姿がありました。
この日から毛づくろいが復活したのです。

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翌朝、見違えるように綺麗に元気そうになりました。
 
その後、通院でインスリンを打つたびに、大きな発作ではないものの、フラフラとした様子は続きました。
 
低血糖になった理由は、なかなか食事を取らなかったためです。
そのため、退院サポートをシリンジで与えていました。
体調が回復してきたためか、吐いたりせずに、口に入れれば飲み込んでくれました。
 
 
そしてケトンが消えていくにつれて、食べ物の匂いを嗅ぐようになり、手から少しづつ食べるようになり、自分で食べられるようになりました。
 
元気もすっかりもどり、点滴や採血ができなくなってきたので、あとはおうちでモニターしながらインスリン投与ということになりました。
 
たまたま、回復することができましたが、実は糖尿病で一番危険なのは低血糖です。
糖尿病自体はじわじわと、悪化して、ケトアシドーシスになると衰弱してしまい危険なのですが、治療の時間的な余地があります。
低血糖は病院に行く前にすぐに死に至る可能性があるのです。
 
通院お役立ちグッズと、その後の経過はまた次の記事で。

 

糖尿病猫退院するも2度めの危機

こんにちは、ゆずたろです。
あまりに糖尿病記が暗いので、おすすめグッズとか、軽い記事を書いていましたが、ケトアシドーシスで入院そして退院の続きを書きます。
 
過去の記事(これまでの経緯、暗め)
 
退院の喜びもつかの間、家に帰って落ち着いたものの、にゃにおはやはり何も食べず、水すら飲まみませんでした。
 
布団でじっとして、オシッコはしても、だるそう。
片目が開きにくく、目やにが出ており、毛のツヤもなく、顔も汚れていました。
毛づくろいをする元気がなかったためです。

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退院の際に、家庭でインスリンを注射できるペンをもらい、指導をうけました。
ただし低血糖を防ぐために、食べたのを確認してからインスリンを注射をしなければいけないのですが、全く食べません。
何か食べさせようと、指につけて口に塗ったり、スポイトで口に水を垂らしたりしても、すぐに吐いてしまうのです。
あまりに苦しそうで、無理じいも出来ず途方にくれました。
 
病院に電話して先生に相談もしましたが、入院中の暴れっぷりを知っている先生は、治療ができないので、目や吐き気に対処する抗生剤と胃腸を動かす薬を出すといわれました。
薬をもらい、点滴を家ですることはできないか相談したが、ダメだと言われました。
どうしても食べなければ、鼻からチューブを通したり、胃ろうもできると提案もありました。
 
胃ろう??
この提案には大変ショックを受けました。
どこまで猫の治療に踏み込んでいいのでしょう?
人でさえ、延命治療には賛否あるのに、猫に胃ろうをつける手術なんてできるんだろうか?とか。
それにこんなに弱っているのに、手術で死んでしまうかもしれません。
手術できたとして、家を開けることが多い共働きの家庭で、胃ろうの猫の世話ができるのでしょうか。
そうまでして延命し、にゃにおは幸せなのか、と。
 
 入院中に強く思ったのは、せめて病院で死なせたくないということです。
猫はなぜ病院にいるのか理解できません。
ただただ怯えて、怒って、耐えるだけ。
わけのわからない場所で、不安な気持ちのまま死んでしまったら、かわいそうすぎると思いました。
それなら、せめて自分の好きな場所で、落ちついて、できれば見守りながら寂しくないように最後を迎えさせたかったのです。
 
病院で薬をもらい、家に帰ると、もう昼でした。
具合の悪い猫を置いていった罪悪感が、心にのしかかります。
無事に生きてるかどうか、恐る恐るみると、変わらない様子でした。
よしよし、待っててね。やっともらって来た希望がこの薬です。
 
とにかく、薬を飲ませようと、錠剤の飲ませ方を調べて、口に放り込み、上を向かせました。
でも、激しくいやがり、ぺっと吐いてしまいます。
元気なくぐったりしてたのに、こんなに力があったのかと思うくらい。
なんとかして飲ませないと!あせった私はなんども繰り返し口に入れました。
が、とうとう錠剤が溶け出し、その味を感じたのか、にゃにおは激しくえずいて、吐くものもなく、苦しみました。
その後、水薬も口に垂らしたのですが、水ですら、口に入れたとたんにまた吐きました。
 
…吐き気があるのに、水すら飲まないのに薬を飲ませるなんて無理だったのです。
今なら分かるけれど、飲み薬をもらうのも、長期の食欲不振もなにもかもが初めてで、必死でそんなこともわかりませんでした。
病院で治療ができないといわれ、飲み薬しか道がないのに、食べないと薬も打てないのに、それもだめだった。
絶望的な気持ちで、しばらく呆然としました。
 
治したい、もとに戻ってほしい、そう思って、どんな状態かも考えずできることをやって満足しようとしたけど、それは私のエゴだったと気づきました。
そして、もう、にゃにおの苦しむことは一切やめようと思いました。
 
一応、色々と食べそうなものを買って来ては置きました。
色々な人が、情報をくれて、自分でも調べて、
高齢猫用のペーストや、生クリームや、ブロッコリースプラウトまで。何種類も。
また満漢全席です。
でも、無理に食べさせたり、飲ませたり、しない。
もう、何日もにゃにおは十分に頑張ったのです。
 
その日の午後は、にゃにおは何も無理強いされず、いつもの電子ピアノの上でくつろぎました。
まるで、何事もなく元気だったころの穏やかな午後のようでした。
 
しかし、当然のことながら、じわじわと状況は悪くなっていきます。
 
何も飲まないのに、点滴の水分か、オシッコだけは出ていました。
尿糖をスティックで測ると、高いままを維持していました。 
インスリンを打たなければまたケトアシドーシスになるのは目に見えており、でも何も食べない猫に打てば低血糖になるのは確実でした。
 
食事は1週間以上とっておらず、インターネットで調べると、48時間何も食べないと肝臓に重篤なダメージとなり、黄疸が出て死に至ると知りました。
元気のない猫の耳や歯茎をめくってはまだ黄色くない、と何度も確認しました。
 
具合が悪くなってからは暗い部屋や、フローリングの上でただじっとしています。
いつもは布団やソファの上にいたのに、布団に連れて行っても、まるで熱い鉄板に乗せられたみたいに、すぐに逃げてしまいます。
心配なので冷たいリビングの床で寝る猫のそばに布団を敷き、一緒に寝ることにしました。
病院には状況を電話で伝えてはいましたが、特に指示もなく、様子見がつづいていました。
 
退院から4日後、たまたまトイレのトレーを洗っていたら、にゃにおが風呂場にやってきて、手桶に溜まっている水を飲んだのです。
具合が悪くなってから、初めて水を飲んだ!!
奇跡を見ているようで、驚かせないように、そっと見守りました。
風呂場の水だけは飲むようになり、それ以来、にゃにおは風呂で過ごす時間が多くなりました。

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そんな、ささやかな水分補給では追いつかず、オシッコは日に日に濃さを増し、オロナミンCのような色になっていきました。
 
脱水を確かめようと、肩の皮を掴んで伸ばし、離してみました。
戻りが悪いと脱水ということだったが、どの程度が戻りが悪いと判断するのか分からりませんでした。
後で分かったのですが、やはりこの時脱水していたのです。
皮が瞬時に戻らなければ、脱水ですが、瞬時というのがなってみないとわからないので、素人がこれで判断するのは難しいと思います。
 
ある朝から呼吸をするたびに、鼻がピーピー音を出すようになりました。
水を飲むと鼻が詰まっているせいで呼吸が乱れ、苦しそうです。
空腹が続いたせいか、入院前と同様の黄緑がかった液、おそらく胆汁も吐きました。
吐くとまた激しく呼吸がみだれ、もう見ていられないくらいでした。
 
ぐったりしているかと思えば、そうでもなく、
ふと見るとキャットタワーの中段に乗っていて、どすん!と落ちるような音を立てて飛びおりたり、トイレも自力でいき、どちらかというと、落ち着きなく、暗くて冷たい場所を行き来していました。
その様子は、まるで「この場所にいると具合が良くないし、縁起が悪いから移動しよう」と方角を代える平安貴族のようでした。
 
元気だった頃と全く行動が変わってしまい、
日に日に、スイッチを切るように弱っていく猫を見ていると、たまらない気持ちでした。
繋いでいた手を少しづつ離して、この世から遠ざかっていくように思えたのです。
 
私の憔悴ぶりに母や猫のことを知る友達、そして出張に出ていた夫が代わる代わる、心配して連絡をくれ、気持ちを紛らわせてくれました。
他人にとってはただの飼い猫です。
でも、私に近しい人は皆、私にとっては赤ちゃん猫の頃からミルクをやってウンチの世話をして8年過ごした、息子のような存在だと分かっていて、言葉にはしなくてもそのように扱って、心配してくれているのが伝わってきました。
そんなの本当に面倒なやつだと思うし、気を使わせて申し訳ないですがとても感謝しています。
私は本当は、猫を不安にさせないように、気丈にしていなければいけないのに、全くできませんでした。
いまだに、猫に甘えていたのだと思います。
一方のにゃにおは、そんな私を横目に淡々と、体調不良に耐えていました。
 
病院では、鎮静をかけなければ処置も何もできないと言われ、鎮静はそう何度もできるものではありません。
ましてや、今の状況で連れて行って呼吸が乱れたら?
解決策がないまま、弱っていくのをただ待っているようなものです。
 
病気になった猫のブログをいくつも読みました。
最新の記事を確認して、今も生きているのか、確認しました。
だいたいは、急に虹の橋を渡ってしまっていて、回復したり、安定して数年生きる猫はほとんどいませんでした。
 
ある晩、もし、明日の朝天国へ行ってしまったら、にゃにおをどうすればいいのだろう?と考えました。
気が早いし、縁起でもないが、心配で仕方なかったのです。
市に引き取ってもらえることは知っていましたが、とてもそんな形でお別れができそうにありません。
せめて、何か納得できるような形に残して、手元にしばらく置いておきたいし、いずれは猫がさみしくないように仲間がいて、私も会いに行けるようにしたかったのです。
 
調べた結果、私の希望が叶うのは個別の火葬であり、お墓であり、共同墓地のようなものだとわかりました。
人のお葬式も、墓地も死んだ本人の為ではなく、残されたものが心に折り合いをつけるための装置だと思います。
弔うことで、大事な存在の喪失を受け入れられるのでしょう。
 
家に迎えに来てくれる近隣の動物霊園があること、火葬も希望によっては個別でしてくれること、一度骨を家に引き取って、希望の時期に納骨できること、共同墓地や、後で取り出せる個別の墓地もあること、同じ月に亡くなったペットと合同で1周忌のような催しがあるところもあるなど、システムが分かって少し安心しました。
 
そんな薄情な飼い主をよそに、にゃにおは頑張っていました。
鼻詰まりで苦しく、匂いもかげないので食欲が出ないのではと考えました。
翌朝、病院に電話してその旨を伝えると、鼻詰まりの場合何回か注射を打つ治療方法があると言われ、連れて行くことになりました。
私は休日と少しの有給で面倒を見ていましたが、いよいよ仕事に戻らなければいけなくなり、出張から帰ってきた夫が病院へ連れて行きました。
 
猫は1.5キロ軽くなり、ぐんにゃりとして、すっかり元気がなくなっていました。
皮肉にも元気がなくなったので、血液検査や皮下輸液ができるようになりました。
鼻詰まりではなく、脱水による症状で、血液検査の結果、にゃにおは、再度ケトアシドーシスになっていたのです。
 
即入院となるところだが、これまでの経緯を考えて、院長先生の判断で通院での治療になりました。
私たちから見れば、よれよれで、今にも死んでしまいそうに見えたが、まだ目に力があるから大丈夫!と言われました。
 
そして、これまでの様子見しながらの治療では悪化の一途だったので、リスクを承知で積極的な治療をすることになったりました。
毎日朝晩病院に通い、血液検査をして、輸液とインスリンを注射する治療です。
 
落ち着きなく歩き回っていた猫が、通院開始からずっと風呂場に引きこもるようになり、落ち着きました。
そして、通院2日目には血糖値もかなり下がり、以前のように布団の中で過ごすようになったのです。
こんなに数値の変化で行動が変わるとは、驚きでした。
医療ってすばらしい!ありがたい!とこの頃私はいつも言っていました。
もちろんにゃにおの頑張りがあってのことですが。
 
通院により危機的状況を脱して、今度は低血糖との戦いになります。

ゆるく共働きを続ける方法

こんにちは、ゆずたろです。

今日はゆるく共働きするために役立つものを紹介します。

 

結婚して約10年、ずっと夫婦フルタイムで働いています。

雑誌には、フルタイムで働いて、子育てして、お弁当作って、家事も自分磨きも完璧!みたいな隙のないワーキングウーマン像が紹介されていますが、私は全くそんな風になりたくありません。

いや、なれないというのが、正直なところです。


完璧を求めず、ゆるくやっているから、こんなへっぽこでも働き続けることができるんだと思います。
今日はそのために割り切っていることや、方法のお話です。

 

家電で家事を自動化する

とにかく、家電でラクにできるものは使っています。

食洗機を買う時に、なんとなーく、皿を自動で洗うことに罪悪感がありました。

でも、あることを知って、考え方が変わりました。

それは、今から50年くらい前、炊飯器や掃除機が生まれた頃に、寝てる間にご飯を炊いたり、ほこりを吸うなんて主婦失格だと言われたそうです。

それが、今ではみんな当たり前に使っています。
それは昔の働く女性たちが戦って、当たり前にしてきた結果なのです。

これを知ってから、今過渡期のもの、大多数ではないものが違和感を感じるだけで、罪悪感を感じるのは合理的ではないと思いました。

というわけで、未来の人たちのためにも?ゆるく働くためにも、使える家電は使いましょう!

 

乾燥機で時間を選ばす洗濯!

家事の中で、私が手間がかかると感じるのは、洗濯です。
洗うのは洗濯機任せですが、干して、取り込んで、畳んで、アイロンかけて‥とするのは毎日の手間が大変。
特に、外に干そうと思うと時間や天候に左右され、部屋干しすると部屋が常に雑然としてストレスです。


そこで、我が家では縦型の洗濯機と、乾燥機を使っています。
浴室乾燥がついているような、素敵な家には住んでいませんので…。


実は新婚当初にドラム式洗濯機を買って使っていました。
ボタンひとつで乾燥までできるなんて便利!と思っていたのですが、洗濯できる容量よりも乾燥の容量が少なく、多すぎると生乾き。
乾いても、素材によっては折りたたまれたような深いシワがつく。
ものすごく時間がかかり、乾燥してる間は洗濯できない。
と、色々不都合があり、引越しを機に縦型と、洗濯機の上に取り付けられる乾燥機に買い換えました。
最近のドラム式はもっと良くなっているのかもしれません。当時の製品の感想です。

 

朝洗濯して、乾燥機に入れておけば帰ってきたら乾いていますし、夜洗って乾燥機にかけておいて、朝仕上がっているという使い方もしています。

乾燥機から出して片付けるのは手の空いた時でいいので、とてもラクになりました。

服は出来るだけ、乾燥機にかけてシワにならない素材を選び、アイロンが必要なものはまとめて休みの日にかけます。

入れてスイッチを押すだけなので、忙しい時はオットが洗濯〜乾燥をやってくれ、私がたたむ余裕もないときは、服やタオルも乾燥機から取り出してそのまま使ってくれて、最低限の生活は成り立ちします。

え、色柄ものとかタオルとかわけて洗わないのかって?

一緒に洗っても死にません!

日立で揃えると、洗濯機に取り付けられるスタンドがあります。

置型スタンドもありますよー。

 

食洗機は賃貸でも置ける

皿を洗うのが好きな人っているのでしょうか?
私は嫌いです。
面倒だし、時間もかかるし、手は荒れるし。
絶対食洗機を入れようと、数年前に思い立ちました。


ですが、我が家は賃貸。
置き型の食洗機がどうやって取り付けられるのか調べ、水道に合う分岐水栓の型を調べ、工具を買って、自分で取り付けました。
キッチンのかなり大きな面積を占めていますが、私には必須です。

食洗機があると思えば、友だちがきた時はもちろん、普段から皿を惜しみなく使えますし、脂っぽい皿もツルツルになります。

食事の後に、食洗機にいれて、あとはよろしくね!と洗ってもらい、その間にコンロやシンクを洗ったり、大きなお鍋を洗ったりすれば、気持ちはとても楽です。

ポイントは、皿の入れ方のルールをしっかり理解すること。
コツをつかまないとあまり入らず無駄ですし、方向を間違えるとキレイに洗えません。

色々な洗剤がありますが、私は液体のものが溶けやすく、量も調整できてオススメです。

食器洗い機/食器乾燥器 | Panasonic

パナソニックのホームページを読めば、分岐水栓のことも丁寧に書いてありますし、お皿の入れ方も動画で解説されているのでとってもわかりやすいです!

 

床の掃除も自動化‥ただし?

実はルンバも買いました。
ですが…今は実家にあげました。
猫がいるので、毛を掃除するのに良いとおもったのですが、すぐに使わなくなってしまいました。
うちに合わない理由がいくつかありました。


まず、ルンバは広いフローリングの床の部屋に向いていますが、賃貸の我が家で、自由に動き回ってもらうスペースがあまりありませんでした。

吸い込み力はよく、あちこち動き回って、最終的にはきれいにゴミをとってくれますが、けっこう時間がかかります。
その間、かなりうるさく、在宅時に使うのは不向きです。

 

猫はまだ若かったのでルンバを面白がって、ボタンを押して起動させたりしていました。
もし、留守中に何かあったらと思うと怖いですし、もし猫が床に吐いたりしたら、それがルンバで広がると思うと、おそろしく‥
猫ってトイレの粗相はしませんが、吐くのはどこでも、ケロッと吐くものです。

 

そして、ルンバは大きいので充電中にかなり場所をとるのも、地味に困りました。
そういうわけで、広い実家に譲りました。
今は実家でも使っていないようですが‥

 

以来、狭い我が家の掃除機はマキタのコードレス式の掃除機です。
家中吸っても15分もかかりません。
いちいちコンセントを差し替えて‥の手間がないので、気軽に掃除できます。

 

実は少し前にブラーバも買いました。
ブラーバは自動クイックルワイパーです。
ルンバの不満なところが解決され、これはいい買い物でした。
まず、何より静か。横でテレビを見たりできるくらい。
ブラーバに乾拭きをしてもらってる間に、他の部屋の掃除をしたり、棚の埃をとったりと手分けして掃除できる感じが気に入っています。
濡れ拭きもできて、床がサラサラになります。


問題は、ラグがあると使えないこと。
ラグを掃除のたびにあげるのは大変ですよね。

 

高級なモデルは掃除をする部屋や時間の予約とかできますが、これくらいの機種で十分。

充電の場所に戻るかどうか、などの違いもあります。

別に戻らなくてもいいと思います。

最近他メーカーからも色々出ていますが、そのあたりは使ったことないのでわかりません。

うちは紙パックではなくてカプセル型です。

充電中に立てておけるのもいいところです。

 

いのちだいじに

こんな風に、衣食住と出来るだけ、道具の力を借りると、平日はかなり家事の負担がなく、回すことができます。
初期費用はかかりますし、電気乾燥機や食洗機を使うと電気代もけっこうかかります。

エアコン代もふくめてうちの電気代は2万円くらいです!

 

正直節約もしたいところですが、節約は別のところでしています。

節約も大事ですが、時間や健康がもっと大事。

数回ならがんばれますが、働いて、家事をしては毎日数年・数十年のこと。

細く長く、いのちだいじに。の作戦でした。

 

梅を撮影して春を感じましょう

まだ寒い日が続きますが、春の訪れを感じることがあります。

それが、梅を見ること。

桜に比べると地味で、花見という感じでもないですが、まだ寒い時期に梅園や盆梅展を見ると、春が来るんだなーと思って嬉しくなります。

桜に比べて何が地味って、木が小さいことでしょうか。

花のボリュームも少なめ。でも、いい匂いがします。

 

先日お雛様を見に行った帰りにちょっとした梅園があり、一眼レフカメラで撮影しました。

お天気も良く、歩いているだけで、幸せを感じるほど。

 

 

携帯カメラでも綺麗にとれますが、鮮明さやズーム力はさすがの一眼レフ!

カメラのことを何も分からないまま、セットで買ったズームレンズですが、自動モードで押すだけでもかなり満足です。

今回は屋外でしたが、暗い所の撮影にも強いのもいいところです。

 

ただものを眺めるのってけっこう難しくて、カメラがあると、じっと集中して見られるし、後で見返すこともできる。

なんでもかんでも、カメラで撮ってばかりでは味気ないですが、やはりカメラは楽しいのです。

 

今回の撮影スポット

奈良県立民俗博物館の民博梅園でした。

3月初旬だったので、ぼちぼちの開花。今ならもっと綺麗だと思います。

近くの雑木林では鶯も鳴いていました!

糖尿病の猫に役立つグッズ(トイレ編)

ケトアシドーシスという危機的状況から脱し、自分で食事もとれるようになり、しばらくは尿糖を家庭ではかって様子を見ることになりました。
 

検査用スティック

尿糖をはかるには、検査用のスティックをオシッコにつけ、30秒経った時の色で判定します。
通常は全く色は変わらず、変わっているということは尿糖が出ているとわかります。
ちなみにこれは人間用のスティックですが、特に猫用というものはないので、人間用を使います。

  

 

ケトンがはかれるスティックもありますが、尿糖のみに比べてケトンの試験紙は高いし、うちの猫の場合はケトアシドーシスになっても、あまり変化が出なかったのでチェックには使えませんでした。

 

ケトスティックは10秒で判定です。 

ケトスティックス 50枚入り Ketostix 50 Strips 並行輸入品
 

 

 

オシッコのとり方

試験紙を使うためには、猫のオシッコをとる必要があります。

タイミングを狙ってお玉を使う、なんて方もいるようですが、そんなに猫をじーっと見ていられませんし、お玉なんか差し出したら、オシッコ止まっちゃうかも?

 

そこで、便利なのがシステムトイレです。

通常は砂の入っている部分がスノコになっていて、下にトイレシートを入れておき、 オシッコを吸い取られせることができます。

固まる砂だと、毎日オシッコ玉を拾わないといけませんが、このトイレのシートは1週間くらいもちます。

でもうんちは拾わなければいけません。

 

このシステムトイレの底にシートをいれずにいると、引き出しにオシッコがたまります。

砂やスノコを通過してくるので、純粋なオシッコとはいえませんが、糖が出てるかどうかの参考には使えます。

膀胱炎などの尿検査の場合は、細菌などがでそうなので、やり方を変えたほうがいいかもしれません。

うちでは毎日朝晩オシッコの尿糖をはかり、トレーを洗っています。

 

臭わない、散らからないおすすめ猫トイレ

ちなみに、子猫のときから現在まで何種類かトイレを変えてきて、今のトイレがベストだと思っています。

ひとつ前は部屋に置いてもおしゃれなデオトイレを使っていたのですが、猫のうんちの匂いは強烈!

蓋があっても空いていてはあまり意味がありません。

 

 フルカバーのシステムトイレが一番いいです。

アイリスオーヤマのトイレは入り口もフラップになっていて、匂いの広がりがややましになります。

うちの猫は子猫の時から使っていたので躊躇なく入ります。

6キロの猫でも特に狭そうということもなく、オシッコも飛び出しません。

洗うパーツが多いのが面倒なのが欠点です。

 入り口に少しスノコがついていて、足の間に挟まった砂も外に飛び出しにくくなっている点も良く、このトイレが一番です。

これで、見た目がもう少しインテリアになじめばいうことないのですが。

 

 

トイレの砂とシートはデオトイレです。

 特にシートは消臭力と吸収力がすばらしいと思います。

上のトイレにサイズも合います。

 

普通の猫トイレ

子猫の時は、もっと長い廊下付きのフルカバーのトイレを使っていました。

さすがに大きくなって不便そうなのと、システムトイレにしたかったので変えました。

固まる砂を入れて使うタイプです。

 

猫砂のおすすめ

今はシステムトイレですが、その前に色々な砂をためしました。

よく固まるのは鉱物系、軽い紙系など色々ありますが、

その中でいいと思ったのはトフカスサンドです。

おから成分らしいですが、ほどよい重みと吸収力です。

 

シリカゲル系も匂いをとても吸収するのでいいですが、粉が出るのが難点です。

 

最後に気に入っていたのは、ホワイトペレットです。

ストーブ用の燃料で、固まりませんが、オシッコを吸収した部分はさらさらの木の粉になります。

ほのかな木の匂いがして、とても好きです。

大きな米袋で届いたので、それもびっくり。

コスパもいいと思います。 

 

以上、尿糖のモニター方法と、トイレのおすすめでした。

糖尿病の猫回復期に役立つグッズ(食事編)

 飼い猫が糖尿病で2度目のケトアシドーシスになり、毎日朝晩の通院で回復してきた時に、家庭で役立ったものを紹介します。

 

まず、糖尿病でケトンが出ている猫は、インスリンを打って血糖値を下げなければいけません。

ケトンが出ている間は食欲がないので食べませんが、食べないと血糖値が下がり過ぎで低血糖になります。

低血糖になると、最悪昏睡状態に陥り、そのまま…ということも。

とにかく何か食べて、吸収できない糖分をインスリンを打って身体に入れて回復させることが必要なのです。

 

 高栄養ジェルを塗る

何も食べない猫のために先生が出してくれたのは、高栄養ジェルでした。

麦っぽい甘い匂いがして、けっこうベタベタしています。

これを、口や鼻の下に塗ってなめさせます。

 

真面目なオットがせっせと塗りすぎて、チューブやオットを見ただけで鼻にシワを寄せていやそうな顔をするようになってしまい、ジェル作戦は諦めました。

点滴以外の栄養が初めて取れたので、ありがたい存在ではありました。

 

シリンジで強制給餌

色々な闘病ブログを見ていると、自力で食べない猫に強制給餌をして命を繋いだという話がいくつかありました。

強制給餌というと、怖い感じがしますが、食欲のない猫の口にご飯をいれてあげると意外嫌がらずに飲み込んでくれることがあります。 

 

私は高カロリー高栄養の退院サポートをシリンジに入れて、飲ませました。

 シリンジというのは針のない注射器のようなもので、100円均一でもトラベルコーナーに化粧品の詰め替え用として売っています。

あまり小さくても何度も詰めるのが手間がかかり、大きいと片手で押せないので、ペットショップの小鳥用として売っているものが一番使いやすかったのでおすすめです。

 なぜ片手で押すかというと、猫を膝の間に挟んで、片手で口の横をめくり、シリンジの先を当てて、ゆっくり餌を出します。

そうすると、クチャクチャしながら飲み込んでくれました。

嫌がったら無理にせず、終了です。食べることが嫌になると困るので。

本当に具合の悪いときは口に水を垂らしただけでえずいたので、ある程度回復してからのサポートです。

この方法ではたくさんは食べさせられませんが、これのおかげで命がつながったと思っています。

病院では鼻から栄養チューブを入れたり、胃ろう手術もできると言われましたが、鎮静や麻酔をかけたり、その後の活動を考えると自力で食べられるようにしたいと思いました。

 

そうやっているうちに、徐々に食べ物の匂いを嗅ぐようになり、食べれるものがないか色々試した所、焼きカツオだけ、食べるようになりました。

一体なぜ焼きカツオはいいのか、よくわかりませんが、ひとつでも、おやつでも食べるものがあるってことが本当に嬉しくて、焼きカツオありがとうの気持ちでいっぱいでした。

手の上から食べるようになり、自力で食べるようになりました。

結局2週間、ほぼ食べずに点滴だけで生きていたことになります。

 

 

 

入院

通院から数日、徐々に元気がなくなる。

検査のためのオシッコもとれない。
最後に好物の茹でササミを食べて以来、全く食べなくなった。
夜中と明け方に、黄土色の液を吐いた。


これはいよいよおかしいと、翌朝病院へ連れていった。

オシッコが出ていないというと、急遽連れていかれ、そのまま鎮静をかけて色々な検査をすることになった。

 

すぐに連れて帰るつもりだったので、手ぶらで帰りながら、知らない場所で具合も悪くて、どんなに怯えてるだろうと思うと、もっと早くに気づいていればと後悔ばかりだった。
身軽になった身体を持て余し、夕方のお迎えが待ち遠しい。
つい数日前までへそ天で呑気に寝てたのに、なんでこんなことになったのだろう。

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昼過ぎになり、さっそく検査の結果の電話がかかってきた。
糖尿病性ケトアシドーシス
入院。
先生は淡々と説明してくれた。
初めて聞く言葉についていくのが精一杯。

にゃにおは糖尿病だった。


猫が糖尿病になるなんて、初めて知った。

にゃにおは食が細く、体重に必要な量をあげても余ってしまう。
オヤツも全くあげていなかった。
たまーに、茹でササミをあげるくらいで。
それが身体にいいとおもっていた。
こんなことになるなら、もっとオヤツでも、たくさん食べさせてあげたらよかった。

 

夕方のお見舞いタイムに会えるらしい。
ジリジリと、夕方になるのを待ち、会いにいった。

にゃにおはカラーをつけられ、檻の中で目をらんらんとさせて、座ったまま唸りつづけていた。
こうなると、私のことなんて分からなくなってしまう。

手には点滴。

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連れて帰れないのは心配だが、病院で治療してるなら安心だろうか?
そう自分を納得させ、帰った。

 

にゃにおのいない家は初めてだ。
家のは中は何を見てもにゃにおの痕跡ばかりで、苦しい。
控えめに言って、死にたいという気分だった。
辛すぎて、悲しすぎて、別にほんとに死のうとは思わないけど、死にたいという、最悪な気分。

何もする気になれず、窓の外を眺めた。
往来には下校する小学生たち、いつもと変わらない平和な人々の営み。
でも、にゃにおはいない。
もう帰ってこないんだろうか。
悪い方にばかり想像が膨らむ。

 

にゃにおを抱きしめるたび、この幸せはいつまでもはつづかないから大事に、よく覚えておこうと思っていた。
でも、早すぎる。
まだ私にはにゃにおが必要だと改めて思った。
にゃにおの為なのか、自分のために生きていてほしいのか。
多分、私がにゃにおに甘えているんだ。

 

ケトアシドーシスは、危篤の状態だ。
入院して最善を尽くしても、約25パーセントは死に至る。

入院の同意書を書くときに、いざという時に延命処置をしてもいいかと尋ねられた。
苦しませずに自然に任せたい人もいるという。
でもにゃには、まだ若いしこれからだ。
何より、私が到底あきらめるなんてできない。
お願いしますと答え、サインをした。

 

入院中は、病院からいつ電話がかかってくるか、分からない。
それは、危篤の時なのか、残念ながら…なのか、夜でもかかってくるのか、結局きけなかった。
見舞いの受付で名前を言うたびに、また緊張した。
生きてるのか、無事なのか。


オットと見舞いに行く途中のバス停で、生きてるにゃにおに会えるなんて期待せずに行くと言ったら、オット初めてが涙ぐんだ。
走馬灯のように、にゃにおのイタズラが思い出されたそうだ。

 

結局、入院中に病院から電話がかかってくることはなかった。
しかし、にゃにおの入院中の様子は異常だった。常に鳴き叫び、何も食べず、寝ず、血液検査も出来ず、点滴だけで数日を過ごした。


にゃにおのケージにだけタオルがかけられ、それでも人の気配がするたびに、激しく威嚇した。
お見舞いはタオルの隙間からそっとした。
しまいには、となりの小さな猫の方が懐いて駆け寄ってくる始末だった。

 

何も食べないにゃにおのケージには、満漢全席のごとく、色々なごはんを置いてもらっていた。
いつものカリカリや、茹でササミの差し入れもした。
結局入院中は一切食べなかった。

 

私たちは何もできることがなく、何も手につかず、にゃにおのいない夜を紛らわすように、鶴を折って、ガラスの鉢に貯めていった。
鉢に小さな和紙でつくった鶴がいっぱいになる頃、にゃにおは退院することになった。

 

通常ならば入院中に何度も血液検査をして血糖値をはかり、インスリン量をきめてから退院する。
にゃにおは血糖値も測れず、興奮していて様子もわからず改善しているかどうかも分からない。
このまま入院していても食べないので早めに退院するという、消極的な選択だ。
正直、百戦錬磨の先生方にも手がつけられない猫、という感じだった。

退院前に鎮静で血糖値をはかり、幸いケトン値はかなり下がっていた。
こんなにも食べていない、危機的状態にもかかわらず、肝臓などの数値は悪くなかった。
家でとにかく食べて、インスリンを打つ治療になった。

 

やっと、連れて帰れる!
カゴの重さが嬉しくて、幸せいっぱいだった。
ずっと鳴き叫んでいたにゃにおも、帰りのタクシーでは静かだった。

 

家に着き、カゴから飛び出てきたにゃにおは、不安そうにしばらく歩き回った。
その歩みがあまりにもヨタヨタしていて、数日歩かないとこんなに弱るものかと思う。
手も点滴で腫れてしまっている。

 

しばらくすると落ち着いて、撫でさせてくれ、
やっと布団におさまり、足元で丸くなって、数日ぶりに、にゃにおは眠った。