柚子湯

猫をこよなく愛する共働き夫婦の日常

糖尿病猫退院するも2度めの危機

こんにちは、ゆずたろです。
あまりに糖尿病記が暗いので、おすすめグッズとか、軽い記事を書いていましたが、ケトアシドーシスで入院そして退院の続きを書きます。
 
過去の記事(これまでの経緯、暗め)
 
退院の喜びもつかの間、家に帰って落ち着いたものの、にゃにおはやはり何も食べず、水すら飲まみませんでした。
 
布団でじっとして、オシッコはしても、だるそう。
片目が開きにくく、目やにが出ており、毛のツヤもなく、顔も汚れていました。
毛づくろいをする元気がなかったためです。

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退院の際に、家庭でインスリンを注射できるペンをもらい、指導をうけました。
ただし低血糖を防ぐために、食べたのを確認してからインスリンを注射をしなければいけないのですが、全く食べません。
何か食べさせようと、指につけて口に塗ったり、スポイトで口に水を垂らしたりしても、すぐに吐いてしまうのです。
あまりに苦しそうで、無理じいも出来ず途方にくれました。
 
病院に電話して先生に相談もしましたが、入院中の暴れっぷりを知っている先生は、治療ができないので、目や吐き気に対処する抗生剤と胃腸を動かす薬を出すといわれました。
薬をもらい、点滴を家ですることはできないか相談したが、ダメだと言われました。
どうしても食べなければ、鼻からチューブを通したり、胃ろうもできると提案もありました。
 
胃ろう??
この提案には大変ショックを受けました。
どこまで猫の治療に踏み込んでいいのでしょう?
人でさえ、延命治療には賛否あるのに、猫に胃ろうをつける手術なんてできるんだろうか?とか。
それにこんなに弱っているのに、手術で死んでしまうかもしれません。
手術できたとして、家を開けることが多い共働きの家庭で、胃ろうの猫の世話ができるのでしょうか。
そうまでして延命し、にゃにおは幸せなのか、と。
 
 入院中に強く思ったのは、せめて病院で死なせたくないということです。
猫はなぜ病院にいるのか理解できません。
ただただ怯えて、怒って、耐えるだけ。
わけのわからない場所で、不安な気持ちのまま死んでしまったら、かわいそうすぎると思いました。
それなら、せめて自分の好きな場所で、落ちついて、できれば見守りながら寂しくないように最後を迎えさせたかったのです。
 
病院で薬をもらい、家に帰ると、もう昼でした。
具合の悪い猫を置いていった罪悪感が、心にのしかかります。
無事に生きてるかどうか、恐る恐るみると、変わらない様子でした。
よしよし、待っててね。やっともらって来た希望がこの薬です。
 
とにかく、薬を飲ませようと、錠剤の飲ませ方を調べて、口に放り込み、上を向かせました。
でも、激しくいやがり、ぺっと吐いてしまいます。
元気なくぐったりしてたのに、こんなに力があったのかと思うくらい。
なんとかして飲ませないと!あせった私はなんども繰り返し口に入れました。
が、とうとう錠剤が溶け出し、その味を感じたのか、にゃにおは激しくえずいて、吐くものもなく、苦しみました。
その後、水薬も口に垂らしたのですが、水ですら、口に入れたとたんにまた吐きました。
 
…吐き気があるのに、水すら飲まないのに薬を飲ませるなんて無理だったのです。
今なら分かるけれど、飲み薬をもらうのも、長期の食欲不振もなにもかもが初めてで、必死でそんなこともわかりませんでした。
病院で治療ができないといわれ、飲み薬しか道がないのに、食べないと薬も打てないのに、それもだめだった。
絶望的な気持ちで、しばらく呆然としました。
 
治したい、もとに戻ってほしい、そう思って、どんな状態かも考えずできることをやって満足しようとしたけど、それは私のエゴだったと気づきました。
そして、もう、にゃにおの苦しむことは一切やめようと思いました。
 
一応、色々と食べそうなものを買って来ては置きました。
色々な人が、情報をくれて、自分でも調べて、
高齢猫用のペーストや、生クリームや、ブロッコリースプラウトまで。何種類も。
また満漢全席です。
でも、無理に食べさせたり、飲ませたり、しない。
もう、何日もにゃにおは十分に頑張ったのです。
 
その日の午後は、にゃにおは何も無理強いされず、いつもの電子ピアノの上でくつろぎました。
まるで、何事もなく元気だったころの穏やかな午後のようでした。
 
しかし、当然のことながら、じわじわと状況は悪くなっていきます。
 
何も飲まないのに、点滴の水分か、オシッコだけは出ていました。
尿糖をスティックで測ると、高いままを維持していました。 
インスリンを打たなければまたケトアシドーシスになるのは目に見えており、でも何も食べない猫に打てば低血糖になるのは確実でした。
 
食事は1週間以上とっておらず、インターネットで調べると、48時間何も食べないと肝臓に重篤なダメージとなり、黄疸が出て死に至ると知りました。
元気のない猫の耳や歯茎をめくってはまだ黄色くない、と何度も確認しました。
 
具合が悪くなってからは暗い部屋や、フローリングの上でただじっとしています。
いつもは布団やソファの上にいたのに、布団に連れて行っても、まるで熱い鉄板に乗せられたみたいに、すぐに逃げてしまいます。
心配なので冷たいリビングの床で寝る猫のそばに布団を敷き、一緒に寝ることにしました。
病院には状況を電話で伝えてはいましたが、特に指示もなく、様子見がつづいていました。
 
退院から4日後、たまたまトイレのトレーを洗っていたら、にゃにおが風呂場にやってきて、手桶に溜まっている水を飲んだのです。
具合が悪くなってから、初めて水を飲んだ!!
奇跡を見ているようで、驚かせないように、そっと見守りました。
風呂場の水だけは飲むようになり、それ以来、にゃにおは風呂で過ごす時間が多くなりました。

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そんな、ささやかな水分補給では追いつかず、オシッコは日に日に濃さを増し、オロナミンCのような色になっていきました。
 
脱水を確かめようと、肩の皮を掴んで伸ばし、離してみました。
戻りが悪いと脱水ということだったが、どの程度が戻りが悪いと判断するのか分からりませんでした。
後で分かったのですが、やはりこの時脱水していたのです。
皮が瞬時に戻らなければ、脱水ですが、瞬時というのがなってみないとわからないので、素人がこれで判断するのは難しいと思います。
 
ある朝から呼吸をするたびに、鼻がピーピー音を出すようになりました。
水を飲むと鼻が詰まっているせいで呼吸が乱れ、苦しそうです。
空腹が続いたせいか、入院前と同様の黄緑がかった液、おそらく胆汁も吐きました。
吐くとまた激しく呼吸がみだれ、もう見ていられないくらいでした。
 
ぐったりしているかと思えば、そうでもなく、
ふと見るとキャットタワーの中段に乗っていて、どすん!と落ちるような音を立てて飛びおりたり、トイレも自力でいき、どちらかというと、落ち着きなく、暗くて冷たい場所を行き来していました。
その様子は、まるで「この場所にいると具合が良くないし、縁起が悪いから移動しよう」と方角を代える平安貴族のようでした。
 
元気だった頃と全く行動が変わってしまい、
日に日に、スイッチを切るように弱っていく猫を見ていると、たまらない気持ちでした。
繋いでいた手を少しづつ離して、この世から遠ざかっていくように思えたのです。
 
私の憔悴ぶりに母や猫のことを知る友達、そして出張に出ていた夫が代わる代わる、心配して連絡をくれ、気持ちを紛らわせてくれました。
他人にとってはただの飼い猫です。
でも、私に近しい人は皆、私にとっては赤ちゃん猫の頃からミルクをやってウンチの世話をして8年過ごした、息子のような存在だと分かっていて、言葉にはしなくてもそのように扱って、心配してくれているのが伝わってきました。
そんなの本当に面倒なやつだと思うし、気を使わせて申し訳ないですがとても感謝しています。
私は本当は、猫を不安にさせないように、気丈にしていなければいけないのに、全くできませんでした。
いまだに、猫に甘えていたのだと思います。
一方のにゃにおは、そんな私を横目に淡々と、体調不良に耐えていました。
 
病院では、鎮静をかけなければ処置も何もできないと言われ、鎮静はそう何度もできるものではありません。
ましてや、今の状況で連れて行って呼吸が乱れたら?
解決策がないまま、弱っていくのをただ待っているようなものです。
 
病気になった猫のブログをいくつも読みました。
最新の記事を確認して、今も生きているのか、確認しました。
だいたいは、急に虹の橋を渡ってしまっていて、回復したり、安定して数年生きる猫はほとんどいませんでした。
 
ある晩、もし、明日の朝天国へ行ってしまったら、にゃにおをどうすればいいのだろう?と考えました。
気が早いし、縁起でもないが、心配で仕方なかったのです。
市に引き取ってもらえることは知っていましたが、とてもそんな形でお別れができそうにありません。
せめて、何か納得できるような形に残して、手元にしばらく置いておきたいし、いずれは猫がさみしくないように仲間がいて、私も会いに行けるようにしたかったのです。
 
調べた結果、私の希望が叶うのは個別の火葬であり、お墓であり、共同墓地のようなものだとわかりました。
人のお葬式も、墓地も死んだ本人の為ではなく、残されたものが心に折り合いをつけるための装置だと思います。
弔うことで、大事な存在の喪失を受け入れられるのでしょう。
 
家に迎えに来てくれる近隣の動物霊園があること、火葬も希望によっては個別でしてくれること、一度骨を家に引き取って、希望の時期に納骨できること、共同墓地や、後で取り出せる個別の墓地もあること、同じ月に亡くなったペットと合同で1周忌のような催しがあるところもあるなど、システムが分かって少し安心しました。
 
そんな薄情な飼い主をよそに、にゃにおは頑張っていました。
鼻詰まりで苦しく、匂いもかげないので食欲が出ないのではと考えました。
翌朝、病院に電話してその旨を伝えると、鼻詰まりの場合何回か注射を打つ治療方法があると言われ、連れて行くことになりました。
私は休日と少しの有給で面倒を見ていましたが、いよいよ仕事に戻らなければいけなくなり、出張から帰ってきた夫が病院へ連れて行きました。
 
猫は1.5キロ軽くなり、ぐんにゃりとして、すっかり元気がなくなっていました。
皮肉にも元気がなくなったので、血液検査や皮下輸液ができるようになりました。
鼻詰まりではなく、脱水による症状で、血液検査の結果、にゃにおは、再度ケトアシドーシスになっていたのです。
 
即入院となるところだが、これまでの経緯を考えて、院長先生の判断で通院での治療になりました。
私たちから見れば、よれよれで、今にも死んでしまいそうに見えたが、まだ目に力があるから大丈夫!と言われました。
 
そして、これまでの様子見しながらの治療では悪化の一途だったので、リスクを承知で積極的な治療をすることになったりました。
毎日朝晩病院に通い、血液検査をして、輸液とインスリンを注射する治療です。
 
落ち着きなく歩き回っていた猫が、通院開始からずっと風呂場に引きこもるようになり、落ち着きました。
そして、通院2日目には血糖値もかなり下がり、以前のように布団の中で過ごすようになったのです。
こんなに数値の変化で行動が変わるとは、驚きでした。
医療ってすばらしい!ありがたい!とこの頃私はいつも言っていました。
もちろんにゃにおの頑張りがあってのことですが。
 
通院により危機的状況を脱して、今度は低血糖との戦いになります。