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柚子湯

猫をこよなく愛する共働き夫婦の日常

子どもの発想

子どもは知っていることが少ないけれど、その範囲で一生懸命考えたことってけっこう冴えてると思う。
 
私が小学生だった数十年前。
まだインターネットというものが一般に知られていなかった時代に考えたこと。
私の持っているいらないものが、他の人のいらないものと交換できればいいのに、と思っていた。
持っているけど、いらないものリストをノートに書き出して、友達に見せたりしていた。
交換にまで至ったかどうか覚えていない。
 
物々交換とかフリーマーケットのイメージだが、そのアイデアは数十年後にインターネットの発明でヤフオクになり、そしてメルカリへと実現することとなった。
別に私が実現させたわけではないんだけれども。
 
もうひとつの発想。
 
幼稚園の頃、リカちゃん人形で遊ぶのが好きで、近所の年の近い女の子と遊んでいた。
私は人形やおうちを私はたくさん持っていて、彼女はあまり持っていなかった。
でも彼女のお母さんは縫い物が得意で、手作りの人形の洋服をたくさん作ってもらっていた。
これが大変羨ましくて、私は考えた。
 
…自分で服を作ればいい!
しかし、縫うということがよくわからず、試行錯誤の結果、生み出したのだ。
 
貫頭衣を!!
 
長方形の布を折って、中央に穴をあけて、頭からかぶせて腰を紐で結ぶ。
これでワンピース!とそれなりに満足していた。
脇のところが切れているのが若干きになるところではあったが…。
 
今考えると、人類の進化の課程を辿っているようで、非常に興味深い。
こういう分岐点で、例えば洋服を持っている子からもらうとか、自分の親にねだる、という方法をとっていたら、交渉能力に優れた人に成長し、今頃営業とかの職種に就いているのかもしれない。
 
しかし、クオリティはともかく、自分で作ってみればいいじゃない。
という発想になってしまうのが私なのであり、こういう人間に育ってしまったのだろう。
 
オットくんのエピソードもある。
 
オットくんが幼稚園に入園したころ。
干支という、ひとりひとりに割り当てられた動物があることを家族の中で知って、幼稚園で「ぼくひつじ年だけど、きみは何年?」と聞いて回ったらしい。
驚いたことに、ほとんどの子がひつじ年で、たまにさる年の子がいると判明した。
 
そこで、ははーん。この幼稚園のクラスっていうところは、無作為に子どもを集めたようで、実は干支で分けているのだ、わかったぞー!となったらしい。
 
いやいや、まあそうなんだけど。
干支=生まれた年=年齢ということが分からない頃の推理。
子どもの考えってすごく限られた知識で判断するから、間違っていることもあるんだけど、その条件の中では正解で、論理性の片鱗が在り面白いなあ。
 
もうひとつ。
幼稚園児のオットくんその2。
 
おばあちゃんは何人いるでしょう?と聞かれて、会ったことがあるのは二人だけど、これで全員か分からないと答えたらしい。
聞いた人は、2人にきまってるじゃーん、という感じだったらしいけど。
あたまいいな、と思う。
 
おばあちゃんが父母の母親っていうことが分かっていないから、こういう答えになる。
でも分かっていない以上、2人に会ったことあるけどまだいるかも、と保留にする考え方って悪くない。
 
私は発想重視、作ってみようやってみようタイプで、オットくんは規則性、論理性を重視というあたりが、今の性格につながっているのも面白い。